だから、ヤなんだ。

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今日のめざましで出ましたね、硫黄島。

朝っぱらから
『ガーン』『ガーン』『ガーン』『ガーン』『ガーン』
と、頭の中で鐘楼が鳴り響いているかのようで、正直、自分の身の置き所に困るくらいに焦りました。
ワナワナしてしまい、会社の休みをとろうかとまで思いました。

ニノのあの表情、、、あの目、、、

毎日毎日、ロスの撮影中に送られて来ていたゲームニッキから想像するより、はるかに重苦しさが漂う映像に、胸がいっぱいというか、動揺して眩暈をおこしそうでした。
あんな顔を2時間見続けるのかと思うと、もう無理だと思います。
あの数秒のシーンですら、ぐわーっと感情が昂ぶってしまったのですから、、、
ダメなのです、ニノのあーいう表情は。
あの表情が芝居っていうのがわかっているんですが、そして、そのときのことをコンサートのMCでは飄々とオモシロエピソードとして話すわけなのですが、、、

多分、ものすごい自分の感情をストレートに表現することにためらいを持つ人だからなんだろうけど、大きな事をすればするほど、それを軽く捉えようとするところがあるよう。
つまり、今回のあの撮影って、想像以上にニノにとっては辛かったと思うんだよ。
ニッキで気楽に書けば書くほど、実は追い込まれていたんじゃないか?というのは、なんとなく想像していました。
そして、その結果というか、答えの一つが、あの1シーンから滲み出ていたように思います。
絶対ね、口で言うほど気がラクでいられるところじゃなかったんだよ。

だから、ニノが自分自身について書いたり、言ったりすることを鵜呑みにしてはいけないとわかっているのですが、それでも、毎度、そのギャップには驚かされます。

『鉄コン』も、実はニノの中ではある程度見えているものがあるんじゃないかと思います。
その結論があるけれど、それを伝えるのも気恥ずかしいから、その責務の大きさを逆手にとって悩んだ風な記述をしてるのかな?と勘ぐってしまうのです。

福井でお会いした綺麗なオネエサン系なニノ担の方とも話してましたが、ニノを好きになると「精神分析」というか、ニノの行動の裏の裏を読んで行こうとして、結局ずるずると抜け出せない穴に陥っていくようなところがあります。

「本当は一人でもいいんだけど、テキトーに仲良くしておかないと、余計先生とかに構われるから、友達と仲良くはしていた」
見たいな事を、小学校時代のエピソードとして語ってたことがあるはず。
そこまで考えられる小学生って、どうよ?
さらに、13歳で鉄コンを読んで泣くってどうよ。

生まれ持った感受性の鋭さと表現力の巧妙さは、ニノの自分自身を表現するというときにおいても、伝えるべき第三者に対し、的確に翻弄させる力を持っているのかも。
で、そのことに気付いたファンは、きっとニノ本人ですら作ってはいない出口を求めて、迷路を彷徨い続けるという、、、

ギリシャ神話でそんな話があったよ、多分。
黄泉の国から愛しの妻を取り戻したい一心で迷路に迷い込む男の話が。
結局、愛する妻を取り戻せる直前で、その妻を手放してしまい、また、迷路に逆戻して永遠に迷路から抜け出せなくなるんだよね。

あー、それに近いよ、まったく。
ニノってどうなんだろう、、、ニノってどんな人なんだろう、、、
このとき何を考えてたんだろう、どんな心境だったんだろう。
こんな顔しながら、全く別のことを思っていたのかな。それとも憑依しちゃってたのかな。
みたいな、答えの無いことをぐるぐるぐるぐると考えてしまって、結局、たかだか数秒の映像を見ただけで、独りよがりで泣いてしまうわけですな。

最近、気付いたのですがニノの姿を見て私が泣くときって、大概、なんか自分の中でいろんな考えが渦巻いているようです。

硫黄島、、、友達についてきてもらって見に行こうかと思ったけれど、多分、一人でこっそり見に行って、トイレで号泣して帰るくらいの予定を組んだ方が良さそうかも。
多分、ストーリーがどうのこうのとか言う前に、ニノの表情とか口調とか、そういったものから在らぬ方向に考えが及んで、一人で勝手に精神疲労を起してそうです。

こういうのをきっと、「妄想癖」って言うんだね、世間では・・・。はぁ。