友達<嵐

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だってさ、にのみやさんは。

ニノのニッキのおはなし。
昨日のニッキを読んで、今日改めてan・anを読み返すと、おりょ!っと思いましたよ。
ニノ、蜷川さんを『友達』と書いてますよね。ニノが『友達』と言える関係って、けして、いい加減なモノじゃなくって、ちゃんとニノにとって「友達」だと思える何かがあるような気がします。
共演しただけでなく、ちゃんとそこに繋がりがあったら、友達になるんじゃないのかな?
だって、「友達が少ない」とか言ってるやんね。

そうやって作った友達でさえも、恐ろしいことに、an・anでは『嵐がいれば、友達はいらないくらい。』なぁんて言ってるわけよ。
蜷川さんだとか、郭くん、勝地くん、勝村さん、高橋克実さん、、、ミッキーや獅童さんもそうだよね。
早々たる仕事仲間!!
それを差し置いても、「嵐」と、平然とっちゃうニノ。
どんだけなんだよ?嵐!

嵐って外仕事(グループを離れての仕事)が多くなってきてるけれど、なにかにつけて、グループの名前を出したがるというか、、、
今回のan・anだと、硫黄島と鉄コンの話を全面的にやってしまってもよかったわけで、それなのに、半分は今の嵐に対しての自分の思いを語っちゃってるわけで。
ハチクロのときは、「嵐5人で試写会に行って・・・」っていうのをアチコチで喋ってたし、メンバーの舞台は必ず見に行くし(相葉舞台に関しては、ニノは保護者になっていたほど)、メンバーが出演するテレビはちゃんとビデオ(きみら、HDDとか持ってないの?と思うけど、彼らはなぜか「ビデオ」って言うよね。)に録画して見てるし。

そういう視点からan・anを読んでみると、私の中ですっきりと落ち着いたものがありました。
グループに愛着をもってる人って、今自分がやってる仕事の宣伝しつつもグループの事をちらちら言ってるんですよ。
言ってるというか、そういう話がどうしても出ちゃってるというか。
でも、まったく口に出さない人もいる。
口に出さない人がグループへの愛着を持っていないって訳ではないだろうけれど、そこで名前を出してくれることで、持ってる思いが「文章」という形になるわけじゃないですか。
それって、デカイよ。
思っていても形にしないと、それは何も思っていないのと一緒だからさ。

嵐ってとにかく、そういうところが出ちゃう(出したがる)グループだから、仲良しイメージがめちゃめちゃくっついてくるんだと思ったわけですよ。
それが、やっぱり見ている側としては、嬉しいわけです。
グループ全員が揃ったときの仲良くしている姿っていうのも、モチロン、嬉しいのですが、グループを離れてもグループの存在を抜きにはできないっていうのを前面に出してくれるからこそ、メンバーが揃ったときの仲良さがウソに見えないのですよ。

さて、今からオカンを迎えに行ってきます。
その前に、布団を取り込まなきゃ・・・。