「好き」と「癒し」は違うんだ

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今、不可思議なことになっていて、エントリーを投稿してもメインページを再構築しないと全く持って反映されない。
何故だ!
カテゴリーにも、カレンダーにも反映されているのにメインページだけ、何故にだ???
ぐぐりまくること、30分。
なるほどね。
再構築を行う単位を小さくすることと、できればMTのバージョンを上げると良いのか。
今度、ちょっと試してみよう。
当分、ケイタイからの更新が出来ないかもなぁ。
ケイタイからだと、再構築が出来ないもんなぁ。
やっかい。

昨日の宿題くん。
おかーさんがズルしてたよ〜!
なんだよ、あのお茶目っぷりは!
コン!とごぼうを切る様にキューン。
ずべずべと転がりまくる雅紀さんにクーン。
紙一重コンビがあまりにかわいくって、氷上実験を何度も何度もリピってしまいました。
後、お茶ね。
私も中国緑茶がメタメタ好物です。
なので、それ自体が興味深いし、人数分用意されずに、お椀を取り合って回しのみするのが嵐クオリティー。
前から思っていたけれど、嵐って、番組内でお箸やお椀の使い回しを平気でするよね。
普段はいいんだけど、番組でも当たり前のようにやっているのは新鮮でした。
「やっていいんだ!」
っていうような。

ニノをトントンする相葉ちゃんのくだりが顕著だけど、宿題くんて「相葉ちゃんの一挙一動が気になって仕方がないニノが高音でツッコミまくる」という、にのあい好きにはたまらない行動が随所に垣間見られるヨダレもんな番組な訳です。
あー、ニノが相葉ちゃんで遊んで癒されてるよ〜〜〜。
いや、違う。
ニノが相葉ちゃんとじゃれて遊ぶことによって癒されてるのを見て、私が癒されてるよ〜〜〜〜。
ニノとニノ担にとっては、相葉ちゃんはいなくちゃならないセットなんですよ。(そんなニノ担、私だけじゃないはず!!)

今年は、私自身、それを痛切に感じました。
ニノに疲れたときの逃げ場所はいつだって相葉ちゃんだし、相葉ちゃんがいないとニノを好きでい続けることはできないと、切に思うわけですよ。
硫黄を見終わったとき、
「こんなツライ仕事を見届けなきゃいけないくらいなら、もう、ニノのファンを辞める!!」
と友達の車の中で泣き崩れたとき、
「相葉ちゃんがいいよ!相葉ちゃんのファンになってやる!!!」
と、息巻いていました。
でも、辞められる訳じゃないんですが、常に相葉ちゃんに浮気しながらでないと、やってけない・・・。

私自身の心境もそうですが、多分、ニノだってそうに違いない。
にのあいで憎まれ口を叩いてキャイキャイと騒いでる姿を見ると、ほんと、安心します。
ニノの今の細さと病的な白さにはびっくりしますが、相葉ちゃんが一緒だと、とりあえずは大丈夫かな?と。
根拠の無い自信でそう思うわけですよ。

とにかく、今年1年で痛切に「私はニノで癒されない」という事を実感しました。
それと同時に「ニノをかわいいと感じない」というのも。
かわいいとか癒しとかじゃなくって、とにかく私にとっては「刺激」であり「モチベーション」であり「ドラッグ」みたいなもんですね。
摂取すればするほど、快楽も大きければ副作用も大きい。
相当な爆発力をもつけれど、持続し続けるには体がもたない。
重くて痛くてしんどくて辛くて、でも、そこを突き抜けたところにある才能の片鱗に触れたときに至上の喜びがあるんです。
そのフォローやらメンテナンスといった、柔らかい感情をもたらしてくれる担当は相葉ちゃん。

はぁー。
きしょいな、オレ。

でね、ZEROですが、「いじめ問題」。
重いね。

 

 

いじめって、戦争の是非と同じくらい、重いね。
人間だけじゃなく、動物世界においても、弱者は虐げられるっていうのはあるそうです。
動物の世界が平和だなんてことは、全くないそうです。
弱い生命体は強いものに排除され、餌や住処を奪われるそうです。

人間にも本能で「弱肉強食」的な感覚というのがあるんだと思います。
弱いものや異質な物を排除しようとする動き。
でも、人間は本能のままに生きているわけじゃない。
道徳や倫理を持ち合わせているから、そうしないように意識が働き、助け合う。
その本能の制御がどこか狂ってる事態が社会全体に起きているのかも・・・。

いや、まぁ、こんなことが書きたいってわけじゃなく。
ニノがいじめを受けていたという話は、これまでにも何度か聞いたことがあるけれど、潤くんははじめてかな。
潤くんは小さいときから、鼻っ柱の強い性格だったから、ちょっといじめの対象になったのかな?
・・・やはり、ニノ担たるゆえんはこの辺ですわ。
ニノなら「ぐわー」っと考察できるのですが、他のメンバーだと、そこまでは自分の頭が回らないみたいです。
以下、ニノの事をうざく語ってしまいます。

ニノの場合、なんとなく同世代に混ざったときの異質感というのは合ったような気がします。
確実に、早熟な傾向があったと思いますよ。

以前、なんだったかの話で幼稚園だっけ?小学校の低学年だっけ?
みんなで何かをするのがバカらしいと思いつつも、反抗して目立つと余計に先生に構われて面倒なので、適当にやっていた。
というような話をしていたことがありました。
そのくらいの年で、そういう事を考えられるっていうのは、まれだと思います。
『イヤだからやりたくない。』『イヤだけど、イヤって言ったら怒られそうだから、仕方なくやる。』とからなら解るんですけど、そこからさらに高次元。『イヤだけど、その状況だとそうすることが最善』だと、状況理解した上で行動していたということ。
ベターな選択を行えるというのは、大人になってもなかなか身につくものじゃないですよ。

早くからいろんな事がわかりすぎるっていうのは、まだ見えなくていいものが見えしまうこともあったんだろうなー。
それがニノの理解力や洞察力の高さを生んだんでしょうが、その分、しんどいだろうなとも思うわけです。
人より見えているものが多いと、感じることが違うだろうし、人とは意見も違ってくる。すると、行動も違ってくる。
だとすると、それはやはり、才能という「異質」なものですからねー。

排除されていたものも、見方を変えると、自分を輝かせるものに。

その才能がまさに世界に向けて開花しつつあるのが、今なのでしょう。
賞を取ることとか、評価されることって、私にはよくわからないのです。
そのときは喜ばしいかもしれないけれど、それで仕事のスタンスが崩れるかもしれないし、嵐にどんな影響があるのかもわからないから。
ただ、ニノのそういう力を見出してくれる人がいて、余すところなく発揮できる場所があって、自分がそれを見れる。
それだけで、私は十分に満足です。