最後なんで言わせてくれ

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やっと、終わった・・・。
世間的な評価が高かったのなら、それはそれでいいのですが、
私的には「なーんもよくないんだー!!!!!」
と、文句たらたらの拝啓。

多分ね、これが他人事だったらどうでもいいの。
現に、私、北の国からは、見てたもん。
「ないって、こんなのー!!」って、めちゃめちゃ、ツッコミながらも、面白く見てたはず。
それに、嵐に関係がないんなら、「自分に合わないなら見なきゃいいだけ」と割り切れるんだよね。
仮に嵐の他の4人が出てたとしても、「いやー、よく出来た≪萌え≫ドラマで」とかなんとか、言えると思うの。
ただ、そこに出てるのは、ニノなのよ。
ニノのドラマに関しては、そういう≪萌え≫とか、正直、どうでもいい。
それなのに、ドラマで、、、というか、ニノに対して、私がやって欲しくない、むしろされたらめちゃめちゃ腹立たしいっていうのを、全てやりきってくれるのが倉本ドラマで、結局、見続けるには、その≪萌え≫しか期待ができないという、この苦痛。

まずね、出演者に愛情がないんだよ、倉本さんは!!
優しい時間ではアズちゃんのお皿を割るクセもそうだし、今回の一平の左利きもそうだけど、その人物を印象付けたり特徴的だったりする事象を意図も簡単に置き去りにする。一平ちゃんは左利きだけど、それを板前になるために右に直したっていうなら、それ以外のところを左手でさせなきゃいけないと思うんだ。なのに、食事シーンや、歯磨きのシーンの右手は納得いかん。ナオミのフランス語なんて、フランス語しか喋らなきゃいけない人物にする意味があったのかどうか?留学はわかるけど、それくらいフランス語に思い入れがある意志の強さを出さなきゃいけないほど、個性的な子である理由がわかんないんだよな。

さらに、後半に見られた、奇をてらったように入れる台詞もいやだ。
時代錯誤な現代を描くのなら、それに徹底してくれ。いきなり「韓国ドラマ」だの「ジャニーズ」だの、とってつけたように入れるのは許せない。(それでも「韓流」とかと言えないあたりが、年齢の限界か?)
普通に面白く見れるドラマに対しては、ツッコミどころがあってもそんなに気にならないけど、妙に高尚なドラマぶってたくせに、結局『気取って』ただけに終わってるってのがいやなんだ。

でも、一番大きな理由は、、、
「これ、ニノは楽しみながら撮影してたの?」
ってところ。
多分、終わり頃にはペースもつかめたようだし、共演者の方々との距離感もいい感じになったようだけど、今年の1月とか2月とか、ニッキを読み返すだけでも、なんだかイマイチな感じで撮影が進んでいた模様。
それが、何より、イヤだったの。
硫黄関連、新曲の露出、ドラマ撮影とやっていた中で、きっとドラマをその時期にやってるっていうのが、ある種、凄い束縛だったんだろうかとも思える節があり。

残念ながら、「ニノがかわいい!」だけでドラマが見れるわけではなく、ニノがイキイキとしてそこにいる、ニノじゃなきゃいけない理由がある、さらに、それが自分に合ってるかどうかというのが揃わないと、自分としては全然テンションが上がらないんです。

今回のドラマ、始まってすぐに出版された脚本を読んじゃったんですよね、私。
それがまずかったな。
読まなきゃ、まだ、筋を追うってのもあったかもしれないけど、その楽しみすらなかったから、ただただ、脚本を具現化していったニノを淡々と見ることになってしまったのです。
文章で書かれたものを、体現するというのは、それはそれである意味凄いことなんですが、ニノをイメージして書いただけあって、なんだかまぁ、それが新鮮ではなかったってのはあって。

今度ドラマがあるとしたら、、、全然想像できないニノを見たいです。
舞台になってしまうけど、「理由なき反抗」のときの迫力ある慟哭や、「シブヤ」のときの狂気のように、ニノから全く想像できない感情が溢れるさまを、是非、見たいです。