黄色い書籍だらけ

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えっちらおっちら、自転車で10分のファミマに行って、ファミマ.comを貰ってきたり、キネ旬があったり、黄色い涙 西暦一九六三年の嵐があったり、、、
部屋中に黄色関連の書籍がゴロゴロ。
嵐が5人で映画を撮ると、もう、「祭り」ですな。
ピカ☆ンチのときのキューブリックに勝るくらい、心躍るものが私の中では見つけられないとjはいえ、映画の公開が近づくとやはり、浮き足立ってきます。
やっと、エンジンがかかってきたというか、、、
実は、黄色関連に関しては、食傷気味なところも、若干あったかもな。
随分前から、色々な情報や写真を見すぎてしまって、どうにも飽きたんですよ。
だから、なんか、「もう、いいや〜」的なところもあったりして、雑誌も相当間引きして買っていたんです。
でも、なにやら自分の仕事復帰が近づいてくると、嵐熱も戻ってきたようで、部屋の隅に積み上げていた雑誌を片っ端から読み返しました。

禅問答のような受け答えをするニノのインタビューも、自分自身の読む熱意が変わると、さらっと読み流しただけでは見逃していた言葉のあれこれを見つけられたような気がします。
「どうやって芝居するのだろう」という問いかけに「究極論として、俺は役者じゃないから」とは、また上手くかわしたものだ。
ニノの記憶にまだ、いかりやさんからの言葉が生きている。これは、それを受けてのニノなりの答えの出し方なんだろうな。
キネ旬での「事実」と「現実」という言葉の使い方なんて、それだけで、論文が1本書けてしまいそうなほど、面白く奥深いものの捉え方だわ。「事実」は本当の事だけど、「現実」は、本当の事でなくてもいい。今の時代にその事象がどう受け止められているか?って事。「現実」には時間軸からの「解釈」が介在することで、事実とは異なる可能性を大いに含む。現在において解釈された「事実」が、「現実」ということなんだ。
まるで哲学者のように、類似する言葉をあえて使い分けることで自分の考えを述べるところがニノにはあるけれど、これはそれが顕著に現れている例だね。
こういう事を考える根源は何にあるんだろう。
私は、人が言った言葉をアレコレと分解することはできても、そういう豊かな発想は自分自身の中から出てこない。
だから、私はこの人が好きなんだと思う。
ニノのインタビューだけは何度も読んで、咀嚼して、ニノが言わんとするところの意味を自分なりに納得いくまで汲み取ろうとする行為は、やはり、「好きだから」出来るような気がする。
「H」のような座談会形式は5人の関係性が現れるところが好きだけど、各個人の読み応えのあるインタビューは、頭の体操みたいです。
ニノ以外のメンバーにも、あれこれと思うことはあるものの、久々、ニノの文章で頭の芯がズーンと重くなるくらいのものと対峙しました。

しかし、春休みなどと言いながら、ボケボケと自堕落な生活してると、嵐がまぶしいのかもな。
嵐って私にとってはご褒美だから、家でボーっとしてるのにご褒美をもらうと、どうにも申し訳ない気持ちがあったりするわけです。
でも、そろそろ仕事モードが復活してきたんで、ちょっとその辺の良心の呵責が緩和されたみたい。
3月の末に次の会社に挨拶に行ったとき、資料として借りてきた昨年度の施策をまとめたレポートなんぞを読みながら、自分なりの施策の打ちたて方とか、妄想チックにあれこれと思いをめぐらしてみてました。
そうすると、脳が求めるんですよ、あのかわいこちゃんたちを。
というか、世の中で一番執着する人を!!モンの凄い勢いで!!!
その一つが、インタビュー記事の読み込み作業でしたが、もう一方が映像モノ。
なんと!なんと!!「ハンドク!!!」なんぞを見返しちゃったよ。
そんで、「熱烈的中華飯店」も見返しちゃったよ。
見返すきっかけがあったのですが、何も全部見なくても良かったものの、結局全部見ちゃったよ。
一番大好きなのは、「あぶない放課後」なんですが、この2つはそれに次ぐ好きさです。(ただし、ノブの死ぬシーンはダメですが、、、)
「Stand Up!!」でも「南くんの恋人」でもなく、倉本ドラマでもなく、コレって言うのが、よくわかんないところですが、多分、ドラマの内容が軽くって、共演者も私の好きな人が多くて、ニノの役どころが割りに「強い子」であるってのがイイのかも・・・。
ピカ☆ンチのタクマが私、めちゃめちゃ好きだし。これも、今晩辺り、久々に見ようかな。

そういや、「天城越え」もDVDになるんだよねー。
・・・これは、買わないかなぁ・・・。