にのあいすとのどうしようもない感情

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家に帰ってこんな時間にネットをうろうろして知った事実。
仲のよかったお友達のサイトが閉鎖してしまうという・・・。
あまりにも個人的な思いの吐露なので、下に。

その前に、BOAOの事を・・・。

なんか、BOAOを読むのが、ちょっと照れるっていうのはなんだろう。
大宮がべたこらしていても、それはいいんだ。
幼稚園児がじゃれあっている感覚だから。

そうじゃなくって、にのあいがひとまとめにされて、さらに、11年という重みが生み出す、このバランスについて二人が語る事が、たとえようのない奇跡のようで、正面から向き合うのが照れくさいんだとさえ思う。

にのあいって、シンメなんだよ。
それは、翔ちゃんとやらっちがそうであったように、シンメというくくりで培われた関係性で、「にこいち」ってことかと。
仲がいいとか、気が合うってこととは別に、共同作業のパートナーというか。相手に合わせる、相手と合わせる、相手と考える、相手と一緒に踊る、歌う。みたいな。
ひとりではない、ふたりで積み重ねてきたもんがあるってのが、多分影響してるんだろうな。
たまたま、その「にこいち」が同じグループにいるわけで、だから、5人の中での2人と、2人だけのときでは、スタンスが違うっていうのは、にのあいによく見受けられる傾向。
5人のときは、とりあえず「相葉にはオレがツッコむ!」と力いっぱい立ち向かうニノな訳です。それっていうのも、嵐のツッコミ担当として、存分に仕事ができるのが相葉ちゃんだからってのと同レベルくらいに、相葉ちゃんの事が気がかりで、注意深く見守っているからで。
ところが二人となると、そういう「ツッコミ・ボケ」の関係から離れ、もっとフラット。二人ともが同等レベルできゃいきゃいやってるわけですよ。
ニノのスタンスが大きく違うのです。
基本は相葉ちゃんとおんなじようなところがあるのに、他の人がいると、とたんに相葉ちゃんにツッコむことでの”フォロー体制”を取る訳です。そんなにしなくても、相葉ちゃんは大丈夫だし、他の誰かがツッコむのにさ。
これはきっと、ニノの心配症から来てるのではないかと思う訳です。
相方のボケはオレが残さず、拾ってやる!!心配するな!!
くらいの勢いで。
相葉ちゃんの方を細かく読むのではなく、ニノのところをアレコレと考えながら読んでいると、そんな事を感じた次第です。

そんなニノにとってはなくてはならない存在が相葉ちゃんであるように、ニノ担にとっても相葉担というのは、非常に大きな存在でした…。

以下、下に。

1999年、私がFlipper'sGuitarの残骸を求めてネットをウロウロとしていたときに出会ったのが、marbleの亜也子ちゃんで、彼女に憧れて私はWebの世界に身を投じることを決め、「Webやるんだったら、自分のサイトくらい持っておかないと、だめでしょう!」的にこのサイトを立ち上げました。
サイトを作ったことに気をよくした私は、自らの趣味の世界をサイトで展開をしていくのですが、KinKiKids、スカパラを経由して堂島くん、嵐と興味のあるものが様々に移りゆく中、そのどれもに対し、遠すぎず近すぎず、着かず離れずの距離感で彼女のサイトの存在がありました。
縁と言うのは奇怪なもので、サイト開設当時から、私に大きく影響を与えてくれた多くのサイトの管理人の方とは、形はどうあれ、その後お会いすることになるのですが、彼女ともまた、そうやって知り合う事ができた一人でした。
アラシゴトを一緒に楽しむこととなるまで仲良くなり、なかでも、2005年のWISHの握手会の思い出は鮮明に残っています。

10年を区切りに稲妻湯が閉鎖されるそうです。
きてこちゃん、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
なんか、とりあえず、お礼だ。お礼。

私はきてこちゃんが表現する相葉ちゃんが大好きで、それはきてこちゃんにしか書けない相葉ちゃんの一面であり、その角度の絶妙さというのは、他の誰とも違うものでした。それはニノ担として、非常に頼もしくもあり、許されるのであるならば、ニノに成り代わって相葉ちゃんへの思いのたけを綴ってきた彼女の姿勢に感謝の念を述べたいくらいなのです。
「うちの相葉をよくここまで書いてくれた!」
という感じで。
(何さまだよ!ってツッコミは覚悟のうえで。)

なにげに、サイトを続けていくというのは、パワーがいることだと思います。
私も何度も挫折しそうになるなかで、続けている理由と言うのは、「書きたい事があるから」に尽きるかと。
それでも、ときにはサイトがいらないと思うのです。
この体裁を維持していく必要性を疑うのです。

とはいえ、前ほど力は注げなくても、ここは私の憩いの場。まだまだ手放せそうにはありません。何せ、嵐がいる限り、書きたい事が山ほどあるわけですから。