曇りのち曇りな心模様

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サトシのMステがすんごい、好きです。
嵐の誰かが歌番組にソロで出演なんて事態があるなんて思いもよらなかったのですが、今回、それが現実に起こって強く思ったこと。

サトシ以外は怖くて見る事が出来ません…。

サトシで良かった。本当に良かった。
いや、まぁ、そんなうがった嵐担の思いはともかく。
見た会社の同僚からも「大野智って、歌うまいんだね。ちょっとびっくりした」なんて話も出てまして。
そりゃそうでしょ。嵐の歌の大黒柱なんですから。

きっと、ここ5年くらい。他の誰よりも聞いている歌声がこの人の声で、この人の声があるから嵐の歌が好きなんだといえるくらい、自分の中にはなくてはならない歌声で、それがこうやってテレビから流れてきて、ぞわわ〜〜って鳥肌がたつくらい新鮮で嬉しい事でした。
しかし、なんかちょっと違うな?っていうのを感じたのも事実。
つまりは「ほらみたことか!」的な誇らしさとともに「うわー、またこれで嵐の魅力の破片が世の中に飛び散っちゃった」と、思う気持ちがあるということです。

ちょっと角度はちがうものの、その気持ちは、たとえば「ゴチ」に出ていた翔ちゃんだったり、ここ数日で各ご家庭に届いたであろうカレンダー(年齢制限いるんじゃねーの、これ??)だったり、近頃、いろんな場面で感じてしまうものなのです。

最近、嵐のメンバーが持ち上げられたり、妙に写真が豪華だったり、いっぱいテレビに映ったり、雑誌が本屋に大量に並んだり、まさに「嵐さんは好待遇」です。なんだけど、それこそが私の中にある違和感で、「えっ、嵐ってそんな位置づけじゃなかった気がする」っていう、現実(だと今もまだ自分が思っている状態)とのギャップに戸惑っているのです。

きっと、数年前なら蜷川実花さんの写真なんて、「えー、っ!!こんな作り込んだシチュエーションのお写真なんて、マツモっさん以外、こっぱずかしくて見てられない!!!」って笑い飛ばしてたと思うよ。
現に、2003年だか2004年だかにニノが雑誌で撮ってもらった事があるけど、その時は「ひゃひゃひゃ」って引き気味に笑って、綺麗に切り抜いてしまいこんでますもん。もちろん、見返しませんよ。こっぱずかしい。

こういう違和感って、なんだろうな???って考えると、きっと私が好きな「嵐」ってグループが、自分が思っているものと、ちょっと違う風に取り上げられていることに対する、不安感なんじゃないかと思うのです。
サトシのお歌に関しては、文句なしにウマイし、その魅力がクローズアップされてもいいんだけれど「そこだけじゃないんだ!!」っていう、部分があるのです。サトシに関しては歌とダンスの組み合わせの強みがあって、それが見れてこそ「大野智の真髄」なのに。
あー、伝わらない。もどかしい。

さらに、私はどこか「嵐って不遇な子である、不憫な子である」って思ってるし、本人たちも「そんなに華やかなアイドルじゃないっすよ、オレたち」って思ってる(と私が思っている)のに、周りは「嵐さん、凄いですね〜〜、来てますね〜〜〜、またこんなにブームになちゃって〜〜〜、蜷川実花 さんと写真なんて撮っちゃって、凄いですね〜〜」と、妙に持ち上げられている、その温度差が「嵐」ってグループをちょっと違う質感で紹介しちゃって、そのイメージで社会に広がってしまう事が、なんだか違うって感じてるのです。それが怖くもあるのです。

まぁ、私のエゴなのですが、私が思っている嵐の姿っていうのが、ここんところテレビや雑誌を通じて紹介されている内容と温度差があるってことです。
それを埋めてくれるかもしれないと、今勝手に思っているのが「SWITCH」でして、その発売が心底楽しみで仕方ありません。信頼のおけるひとが書いてくれる嵐の姿を、早くこの目で見たいのです。

とはいえ。
カレンダーは良いですね。
数年前に似たようなコンセプトのものがありましたし、「H」でもそんなシチュエーションでの撮影があったのですが、嵐に一軒家はよく似合う。
いっそ、5人で暮らせばいい。妖精さんの館みたく、かわいくていいじゃん。