バブリーな日々

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最近、アラシゴトに関して、手抜き感があります。ちょっとくらいならテレビや雑誌が追いつけなくても、なんか、あんまりダメージがない・・・。

ただね、そんなときに限ってサクライさんが超・美ジュアルっていうので、後で悔やむ事が多くって困ってます。
クイズショーのズームインが録れていたので、事なきを得ましたが、あの「耳かけ指差し図」を録り逃すと、泣くほど悔しかったと思われます。

本当に毎日毎日HDDが動かない日がないのですが、うちのにのちゃん。いったい何をしてるんだろう(そりゃ、ドラマをやってるのは知ってるけど)。
今頃になって、ゲームニッキがない日常のさみしさってのに襲われています。
今まで、どのメンバーが何をやっていても、とりあえず、ニノの日常は分かっていたじゃない。
ニノの事は毎日のように考える瞬間があったわけじゃない。
その定例事項がなくなったわけですが、不思議な事に無くなった直後って言うのはショックでもなんでもなかったの。だって、本人がやりたくないってものを続けてもらいたいっていうのも、なんだかねぇ・・・。

ところが、最近。
これだけ嵐バブルな毎日なのに、肝心のじたんくんの動向が読めないっていうのが、非常に不安になってくるのです。
「元気なのかな?」「まだ、マジックやってるの??」「今はゲームかしら?」「楽器に触っている時間はあるのかな?」
これまで毎日のように覗いていた日常がなくなった喪失感っていうのに、どうも今更ながら、襲われているというか。

自分の中で近頃感じている事があるのですが、アリーナでのコンサートを知っている世代の嵐ファンの方からすると、今って、なんだかさみしい感じを抱くっていうのはあるんだと思う。事実私もそうなんだけど。
でも、最近、自分はちょっと違う側面があるのかもしれないなぁ・・・って感じる事があって、それは、
「なんだよ、嵐!!売れちゃってさ!遠くに行っちゃってさ!!」
っていう、売れちゃったゆえのファンとの距離感の遠さってのじゃなくて、
「今日、何やってるのかわからない・・・」
っていう、嵐のメンバーと自分たちが分かりあえない部分が増えた事の寂しさな気がする。
確かに、今は露出は多いけど、それって私が見たかった嵐ではない感じがするのですよ。
何気ない日常。仕事場での一幕。メンバーとのたわいのない会話・・・。
普通の生活がそこにあって、生活の一部を垣間見られていたことの意味って、「近況報告」って言葉ですませられるもんじゃなかったんだと思うのです。
毎日の生活の中で共有する時間っていうのが、ものすごく大きかったのです。
だから、正直「近況報告」という「情報」は私には必要なかったけれど、ニノが日々、ファンとコミュニケーションを取ってくれていたという、その接点を失った事は、とってもとっても大きい事に今気付いたというか。

これだけ毎日、嵐が見れても、ニノのあの言葉にまさるものはなかったんだな。
メディアを通じて、きれいにパッケージされた「嵐」ではない、毎日を普通に積み重ねていく、ひとりの人間の日常や、そこで巻き起こる小さな事件の顛末や、家族との会話や、、、毎日毎日を過ごしていく時間を共有する感覚みたいなものが大きかったんだと思うのです。
満たされない思いというのは、そういう、共有意識なんじゃないかな・・・。

今、台詞を話すように答えるインタビュー記事や、判で押したような言葉を連ねた会見映像ではなく、ちょっとした毎日の事柄が知りたくて仕方ない。
ニノ、また連載しないかな・・・。
今になって、本気でニッキが恋しくなりました…。