10周年にあたって

投稿日:

嵐を好きでよかったと、自分の人生を振り返って思うことは本当に多い。
こんなところでぶっちゃけて書くのもどうかと思うが、離婚を決意できたのもそうだし、転職をするきっかけと勇気をもらったのも、結局のところそうだ。
そして、仕事でどんなにつらくて、泣きそうで(実際に泣くことも多いが)、辞めたくなったとしても、家に帰ってテレビの前に座り、嵐を見続けることで解消されていくストレスも多い。
そして、次の日からまた頑張って働くっていうのは、言い過ぎでもなんでもなく、事実なんだから仕方ない。

好きっていう気持ちの中には「見ていて楽しい」とか「顔が好き」とか「この役を演じているから好き」とか、色々あるんだろうけれど、こと、嵐に関して言うならば、私が持ち合わせている「好き」のバリエーションのすべては嵐で網羅されている。
それは、気持悪いくらいの妄想的な彼氏・ダンナ願望を含め、自分の好きの気持をありったけぶつけたら、それは5人のうちの誰かのどこかに、確実に当たる。

ニノが好きなのは、その中でもちょっとだけ異質なところもありながら、それでも基本的に嵐のメンバーであることが前提の上でニノ担であるというのが私のスタンスです。
100%ないことだと思うけれど、仮にニノが嵐のことを嫌いになったとしたら、私はそんなニノを許せないかもしれない。
それくらい、嵐というのは、母体であり、大地であり、絶対的なもの。

ちょっと例えがおかしいかもしれないけど、「地球が大切」であるというのと、似ているのです。
地球が好きだから、山が好き、海が好き、川が好き、街が好き、人が好き、動物が好き、、、
っていう感じ?
嵐ってそれくらいに懐が広いもんだと思うわけなのです。
だから、個人個人を見ていても面白いし、一つの集合体としての面白さも持ち合わせている。
そういうグループだから、ずーっと、見続けられるんだと、改めて感じているのです。

空気のように当たり前のように日常に嵐がある生活が始まって、私自身、7年目ですよ。
それなのに、あー、本当に。まだまだ、満ち足りることも、飽きることも、食傷気味になることもない。
これは奇跡のような出来事で、そして、5人の持っている美徳で、5人の軌跡です。

よくわからない状態から始まった10年前。それが少しずつグループとしての形を成し、個々がそれぞれのフィールドを広げると、グループも変幻自在にその様子を変えていく。
だから、嵐ってどんなグループかっていうと、ものすごく幅が広く、一言で表しにくいものになっているんだと思うのです。
個人の得意分野は言い表せても、嵐っていうグループが何がどうできるのかを一言で言い表すのは、とっても難しい。

誤解を恐れずに言うと、、、
SMAPは日本が誇る国民的アイドル、TOKIOはお茶の間の人気者、KinKi Kidsは抜群の歌唱力をもつ的な、、、なんか、そのグループの色があると思うんだけど、嵐をそういう風に表現することはなかなかできない。
「仲がいい」とか「個々の才能が集まる」とか言われるけど、「嵐」のウリってことで考えると、よくわからない。でも、それでも気がつけば、する〜〜〜っと世間に浸透していく。
これは、ちょっと前例にない、おかしなことだと思うのです。

それでも、今の嵐の状況は、やっぱりグループそのものが一言に限定されない可能性を持つ母体の力だと思うのです。
個々の個性をぐるっと飲み込んでなお、それを一つの集合体として、バランス良く見せれるグループ。
それが、嵐。
個々がグループに飲まれることもなく、甘えることもなく、責任をもって成長し、嵐が大きくなる。だからこそ、今の嵐があるように思うのです。
そういうグループの、可能性とワクワク感と楽しさとステキさ、素晴らしさをまだまだ享受しながら、これから私も頑張っていくんだ!
と、嵐の10周年を機に、かたく誓った次第です。

だって、嵐の本気を見せつけられたんですから、それくらいやんないと。
1/5000。
家宝として、大切にします。