水が滴る

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お風呂で宝島の例のヤツ読んでて、湯船に落としたよー!!!
で。2冊目買ったっちゅーねん。
ブツブツ。
(嵐直接の出費は痛くないけど、こういう自分のミスでの出費って、ヤダー!!)
(オレ、反省!猿並みに反省!!!)

宝島については、ひたすらに、自分の興味の方向性(評論好き)に沿ったものなんで、読まずにはいられないものの、読んだ後にちょっとしたザラツキを感じます。

歌詞とかさぁ、そんな風に解釈しなくって、よくね??
いや、それちょっと、ニュアンスが違うし。
えーっ!!そこで、そういう風にとらえちゃうの???

的な。
やっぱり難しいのだ。
自分が思う感想を書くというのは、他人のそれとは相容れないところが多いにあるということを、考えておかなくてはならないのだ。

でも。逆もあるんだよ。ブンブンと、首がもげるほどに頷きたいこともあるんだ。
ダイノジの大谷さんが書いていた、「嵐は批評型アイドル」っていうのがそれ。

ブログで見受けられる嵐ヲタって、「盲目ではない人」ってのが結構多い気がする。
ブログとかSNSとかTwitterとか。。。
とにかく。
一般の人があれやこれやと意見を述べる時代にアイドルやるってことは、批評されるべき存在でなくてはならないんだよなぁ。
良くも悪くも、すべての情報がネットであっというまに行き交うわけで、そこでどう評価される存在かっていうのが大きいように思うもんなぁ。
嵐はその「多くの眼に晒されるときの、自分たちの価値」をうまく作り上げてきた気がする。
結局は、ブロガーたちって、「自分だけがもつ、視点」的なものが好きなわけで、その点、嵐は当初、うまくインディーズ的な「マニアック」な路線を行くことで、そういうブロガーの欲求を満たすところが多かったんだと思うんだよなぁ。
もし嵐がメジャーでせめていたら、イマサラ自分が書くことないけど、「嵐って、こんなんだよ!」っていう、ちょっとした優越感にも似たマニアックサを知らしめたくて、せっせとブログを書いていた気がする。

なんだか、メディア論にも近い話ではあるけれど、嵐っていうグループはそういう話ができるってところが、やっぱり「今の時代に受け入れられたアイドル」なんだなぁって思う次第です。