まだ、その時ではないんだけど。

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ブログを11年(奇しくも嵐と同い年)もやっており、嵐を語りだしてからでも8年目に突入しております。
その中で、年々、嵐のことを書く濃度は薄まっているし、特に自担のにのみやさんのことを語る量は減っています。

今日、ブログをやっているお友達と喋っていてわかったことがありました。
というか自分でぼんやり考えていたけど、あまり明確に思考として認識していなかったことを、初めて言葉に出して自覚したというか。

それは、最近の私はニノのことを、あんまり書く気がないってこと。
嵐はもちろん好きだし、翔ちゃんも相葉ちゃんもサトシも潤くんも大好き。
でも、それ以上にニノのことは好きなんだけど、だからこそ「何も言えない」っていうか、心の中に沸き起こるニノへのあれこれがあまりに色々ありすぎて、それはもう、言葉でブログに綴るっていうもんでもなく、自分の中で湧きあがっては消えていく炭酸水の泡みたいなもんなのです。
浮かんでは消えていく色々な感情を、その瞬間で言葉にするならTwitterとかのほうが適しているかもしれないのですが、Twitterって、情報収集手段で使うことはあっても、自分がそこに何かを書くという行為をするには、いささか私には合ってないんだな。
使ってるけど、つぶやかない。

そして、自然とここにも書かない。
何かのタイミングで書き散らすときが年に何回かあるわけで、6月17日なんて、その最もたる日なんだけど、今日はどうしても書かずにはいられなかったのです。

あっ、
コンサートが決まったとか、アルバムが出るとか、そっちの楽しいほうの話ではないよ。
(それについては、また後日書くこともあるでしょうが)


ニノちゃんが事故ったという速報を見たとき、目の前が霞んで”ボワッ”とゆらぎました。
必死に記事をクリックしようとするのに、マウスを持つ手がうまくそのリンクを押せていない感じがありました。
クリックして記事が開くまで、たかだか数秒だっただろうとは思いますが、自分的にはなんだか気の遠くなるような時間にも思えて。

不安とか、怖いとか、どうしようとか・・・
そんなはっきりしたことを思っていたわけではなく、押しつぶされてしまいそうな「大きくて飲み込めない黒い塊」を喉に押し込まれたように、息苦しい。
そんな状態で画面を読みだしました。

ひとまずニノが無事であること。
ニノが車の運転をして衝突した方であること。
(てっきり、事故にあったと思っていた)
相手の方も軽傷であること。
同乗者はいなかったこと。

一つずつ頭に情報が刻まれ、最終的に「ほっ」と息をつけたわけですが。
しかし、Yahoo!さん、「嵐二宮、衝突事故」って見出しは、本当に心臓に悪いです。


自分の生活の一部であり、自分の感情を動かす最も大きな存在であり、精神的支柱でもあるのはニノなんだと思っています。

そんなニノとお別れをすることがあるんだとしたら、それは自分が「嵐に飽きたとき」だと思っていたところはあります。
だから、ちょっとでも「ニノのほうがいなくなる」ってことを、私は考えたことはなかったのですよ。
誤解だとはいえ、そういう状況になったとき、本気で私はツラくって仕方ないんだな・・・ってのがわかったわけです。

色々と目移りはするだろうし、今はてごにゃんが大好きだけど、それでもやっぱり帰るところはニノがいるところなんです。

そして。
きっと、今回の事を誰よりも心を痛めているであろう、にのみやさん。
今回の事をきちんと消化して、これからはくれぐれも安全運転で・・・。
晴れやかな笑顔を見れる日を、心待ちにしています。