6年前のいまごろ

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にのが少クラプレミアムで語っていましたが、2004年のいまごろ。
そう、ちょうど夏のコンサートが終わって、24時間テレビのパーソナリティが終わって、トキオも終わって、ニノのドラマ「南くんの恋人」が終わって、Dの嵐でしか嵐が見れなくなっていたころ。
友達とメールで「ちょっと!なんで今、この押せ押せムードで嵐を売りに出さない!それって、どういうことさ!?」と、鼻息荒く憤っていたことを思い出します。
夏から秋にかけて、例年にないくらいの追い風が吹いていたはずでした。それなりに良い露出があったと思えた直後、干されたと言っても過言ではない急速な嵐不足。
どうしても、あと一歩、、、いや、二歩、三歩、伸び悩みがあり、後からデビューをしてきた後輩にセールスもコンサート規模も抜かれて行きました。
以前、別の番組でも言ってましたが、にのが硫黄島への出演を決めたのは、あまりにも給料が安くて「これじゃ、やってけない。なんかお仕事ないですか?」って、事務所に話したのがきっかけだったらしい。その硫黄島のオーデションが、2006年の1月。

2005年の後半、潤くんが花男で一気に注目を集めることに結果としてなったものの、2004年後半〜2006年にかけての期間、緩やかな道を上ってるんだか下ってるんだかわからず、人気も知名度もイマイチで、テレビをつけても嵐は出ていないって時期。
私たちもそれなりに憂いた部分もあったんだけど、そういうファンがヤキモキと思っていたのと同様、いやそれを上回るほどのフラストレーションを本人たちは抱えていたんでしょうね。

これが嵐なんだと思う。
いつだって、ファンと嵐の考えていることは、そんなにズレない。

そして、嵐ヲタをしていると、嵐とファンのズレの少なさを感じる事はたくさんあれど、こういう本音・・・それもある種、自虐的なことも含めてきちんと話してくれると、改めて安心します。
嵐はファンに対してオープンなところが多いグループだとは思いますが、ここまでテレビに向かって話をするのは、実はにのしかいないんじゃないかと思います。
そのにのが、2004年〜2008年にかけてゲームニッキで嵐の日常を語ってくれていたのは、いまから考えても物凄い事なんじゃないかと思うのです。実際は嵐の露出が減っていたにも関わらず、毎日毎日、嵐の様子を届けてくれたからこそ、実際の露出が少なくてもやっていけたというか。
今更ながら、にのが毎日毎日。ドラマの撮影で大変でも海外に行っても、書き続けていてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいになります。
そして、ファンよりも誰よりも、当時の嵐の実状に憂いを感じていた潤くんが、嵐のポテンシャルを起爆させる役割を担ってくれたことが、嬉しく思うのです。

多分、ジャニーズ事務所としてデビューをすれば、それは少なくともある一定の「成功」は約束されていると思うのです。
でも、それでいいのか。そこからトップアイドルとか国民的アイドルって呼ばれるようになる成功を掴むのは、苦悩と苦労を経てこそなんでしょうね。
嵐は掴んでも、それを失うときの恐怖を感じてる。
でも、そういうのを知ってるからこそ、ファンと共に歩んで行こうとする気持があり、会場が大きくなっても、存在が遠くなっても、まだどこか「近い」と思える何かが残っているんだろうな。
後何年かして、もう少し存在が近くになるときまで、ずーっと見守っていこう。
そして、その時が緩やかに、でもそう遠くない未来に訪れる事を、願っていよう。

余談ですが、先日の木曜日。news everyを初めて見ました。
慶ちゃんのキャスター姿、なかなか様になっていたと思います。
その中で「僕自身はタバコを吸わないんですが」と、言ったところに「おお!」と新しさを感じました。
タバコを吸わないと公言しているジャニーズのアイドルは何人かいますが、この世代でそこまでテレビで言った人って、他にいたかなぁ・・・と。
それをきちんと話すって、好感もてるなぁ。