春には、まだ遠く

3月が終わろうとしています。
嵐のことも、日々の生活のことも、地震のことも、そんな最中だったけどタイに行ったことも、自分の中に巻き起こった感情はむちゃくちゃたくさんありますが、ここにその事をたくさん書くのは、やめておきます。

うまく、まとまりませんが、2011年の3月を私がどう思っていたのか。それを少し書き記して終了とします。

阪神大震災のとき、私は21歳でした。
浪人した後に入学した女子大を退学して、新しい大学で1年生からやり直していたときです。
地震があったのは、テスト前、明け方まで勉強していたときのことでした。強烈な揺れと、その後の泣きたくなるような混乱と、友達の家の崩壊に相当なショックを受けたものの、1週間もたてば、誰一人身近な人が亡くなることのなかった安堵感に包まれ、バイトやサークルといった、日常に戻っていったと思います。

今回、その時と違うのは、私はWEBという環境を手に入れ、そこでリアルタイムで入ってくる状況や情報に接することで、阪神の時以上に震災を「自分ごと」として捉えているということです。
2週間が経った今、現在も。
実際に被災された方とは比べものにならないまでも、以前以上に、自分にも大きなダメージは確かにあることは間違いないのです。
インターネットは便利なツールです。でも、それを手に入れたことで、いつでもどこでも自分の手元に情報がやってくる。それは、災害を「他人ごと」にしないという、戒めを自分にもたらしてくれたと共に、他人ごとにならない辛さというのもあるんだと、身をもって実感しました。
いいか悪いかわかりません。
でも、大学時代の大震災とは、私でさえ、受けているショックが違うということが言いたかっただけなのです。
それは、震災の規模という点ではなく、情報がもたらす影響によるものなのです。

今日になって、やっと、福島県が実家の友達のブログをのぞき、ご家族が無事であることを確認しました。
本人は東京在住なので無事であろうと思っていましたが、ご家族のことは、こちらから聞くべきではないと思い、本人がブログを書いたら、きっとそのことは報告してくれるだろうと思っていました。
でも、ブログを読んで「一人暮らしで心細いときに、連絡をもらえてうれしかった。ありがとう」的な事も書いてあり、連絡をした方が良かったのかな?とも思ったり。
もう少し落ち着いたら、メールしてみようかと思うけど、それってもう遅いのかな。。。

3月16〜20日の5日間、タイのプーケットで開かれていた広告祭に行ってきました。
その時に受けた刺激を忘れないためにも、英会話を習おうと思っています。広告を作る人間として、自分の作品をいつかは海外に出したいと、強く思ったのです。

そして。仕事といえば。
今取り組もうとしている仕事は、日本を元気にできることに、少しばかり、お役に立てそうなことです。
本当に、しっかりと取り組もう。
これは、自分の趣味趣向というわけではなく、しっかりと作っていきたい。
この仕事については、珍しく、丁寧に丁寧に、資料作りから自分の手でやっていきたい。そう思っています。

そして昨日。私のモノヅクリの原点である、制作会社時代の友達とご飯を食べてきました。
同い年で、長年デザイナーとして頑張ってきた子が、とうとう会社を辞める事なりました。
最初お互い27歳で入ったときは、下っ端として刺激的な仕事に意欲的に取り組んできたけど、31歳で私が辞め、その後、会社を守ってきた彼女も37歳。
この会社にしがみつくのは、もう限界ということで、辞めることにしたそう。
何をするのかは未定だそうだけど、何にしても良い未来が待っていることを。そして、また一緒にどこかで制作ができる事を祈っています。

3月が終わろうとし、それぞれ新しい春を迎えるのですが、暖かくならないのがツライ。
早く、コート着ない生活したいなぁ。。。