Face DownとIF YOU WANNA DANCEの魔力について

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嵐の新曲「Face Down」のMステについて、かなり滾った方が多かったかと思います。
各言う私も前回のワイハに引き続き、何回リピートしたかわかりません。

それが5月4日の出来事。週明けて5月9日には少年倶楽部にて、セクゾンが1stコン・アリーナコンで披露し好評を得ている「IF YOU WANNA DANCE」をテレビ初披露しました。
IF YOU WANNA DANCEはコンサート初見ですでに私の中では神曲になっていまして、その興奮は「薔薇革命の決行と、その顛末」の13曲目をご確認いただくとして、待ちに待っていた曲がテレビで披露されるのです。その期待度の高さといったら!!!
FDを1日5回以上リピっていたところに持ってきて、イフワナも当日から何回かわからないくらいにリピートし続けています。FD→イフワナ→FD→イフワナ→FD→イフワナ→FD→イフワナ…気がつけば軽く1時間は過ぎています。

ヤバイ。この2曲、マジヤバイ。
私を虜にする魔力がどうやらあるようです。そしてその傾向が、わりかし近い感じがする。
それを簡単にまとめてみようかと思った次第です。
ツイッターで気の向くままに書いてやろうと思っていたのですが、やっぱりキチンとまとめた文章はブログの方が書きやすいし、読みやすい。そもそもツイッターでは長文は望まれませんしね。

ということで、

Face DownとIF YOU WANNA DANCEの魔力の類似性について…

その1:各メンバーにおける見どころが満載
大体、こういう場合まず最初に目が行くのは担当です。嵐ならニノ、セクゾンなら健人くんを自然と追っ掛けています。それを何回も繰り返すと、次に全体をぼんやりと眺めるフェーズに入ります。リピート回数がおおよそ5〜10回程度したくらいでしょうか。大体の楽曲はこの当たりで満足し、BDにダビングするのが常です。それだけリピートすれば、担当以外のメンバーの様子も何となく把握できますし、そろそろ飽きてきます。ここで飽きないと、今回の2曲のように、各メンバーを順々に個別で追っ掛けていくフェーズへと進む事になります。

今回、この2曲に関しては、大体の様子をぼんやりと見ているだけでは、しっかりと押さえる事が出来ない各メンバーの見どころが、細かく随所に散りばめられていると思いました。

FDでいうなら
サトシ:冒頭のカギを開ける腕と手の甲の美しさ。ダンスの足さばき方のスムーズさ、膝が悪くてしゃがみきれないところある点、クールな表情
翔くん:曲がりきらない関節と動きの浅さ、Rap、カメラ目線でのドヤ顔、ダンスのデカさ。
潤くん:カメラに挑むような目線や表情。しなやかなスタイルと動きの柔らかさ。ハモリパートの確認
相葉ちゃん:笑顔をのぞかせる表情、ニノと対になるときの動きやフォーメーション(シンメ性の確認)

イフワナでいうなら
勝利くん:0番の貫禄、目線、表情、ダンスのズレ、あれ?振りがすっぽり抜けてるところがあるよ?
聡くん:ダンスの動きのこまやかさ、関節(特にひざ)の動き、表情、フェイクパートの確認
風磨くん:多動性と言われる動きの多さ、5人が同じ動きをしてるはずなのにどうしても揃わないところ
マリウス:誘うような目つきや表情、妙に色気がある動き、音にピタっと動きがはまるところがあるところ。

などなど。
今、思いつくまま簡単に書いただけでも、こんなふうにそれぞれのメンバーの気になる点、カッコイイ点、惹かれたり気になったりした点があるのです。
1曲の中に散りばめられたメンバー全員分の見どころをひとつずつ確認し、納得し、了解する作業が必要なのです。
その為には一人の人に焦点を当てて何度も同じところを巻き戻しをしてみたり、コマ送りしたりするなどで、かなり念入りに見入っているのです。

ここでのポイントは「カンペキにカッコイイから見返しているわけではない」と言うことです。
それを次に述べます。

その2:揃う美しさと、乱れたときの違和感

セクゾンは言わずもがな。嵐ですら「シンクロ率99.999%」でしたっけ?K-POPのINFINITEに比べたら、全然そろいません。まぁ、長くやっている分、嵐の方がまだ多少はズレやブレは少なく、また決めるところは決めてきます。

ダンスには個人の個性とグループとしての魅せ方、両方のバランスが必要です。

嵐がその点において先輩だと思うのは、個性を発揮するのはカメラに抜かれたときや自分のパートが回ってきて振りが控えめになるとき。タイミングを決めて集中させて行うところです。
セクゾンは、隙あらばなんらかぶっこもうとするふまけんや、曲の持つ雰囲気を個人のアピール力とうまく交わらない勝利くんや聡くんの爽やかさなどもあって、グループとしてのまとまりを魅せるとこで個性がでてきてしまったり、個性を発揮できる所が凡庸に終わったりするジレンマを感じます。

でも、だからと言って、キライではないのです。おや?あら?と思うところがあるからこそ、それがなんであるのかを確認したくてリピートが進むのです。あげ足を取るかのようですが、マイナスの感情ではなく、むしろそれが楽しい。それが改善される未来があるんだから。

これまたコマ送りしながら、誰がどのタイミングでどの位置に移動して、それがズレてるだの、ズレてないだのと、一人検証をして楽しむのです。

ただし。どちらのグループも美しいフォーメーションを作る動作は素晴らしいと思います。
足元に自分の位置を示すマークがあるとも思えなかったのですが、グループ内で均等にきちんとばらけることができる、そのグループ内の調和が美しいと感じます。

その3:変革期、成長期における「今だけ」感
この空気感、この5人の関係性など、どちらの曲にも「今だけ」という限定なニオイがあります。

セクゾンに関しては「成長期」の途中ゆえ、メンバーの身長のバラツキ、それでいてまとまりのあるフォーメーション、変声期を迎えるメンバーがいる中でのボーカルバランス。半年後には違っている事がわかります。
本当に、今だけ限定で見る事ができるパフォーマンスです。
そして。もう二度とこういう状態を作り出すことができなくなるでしょう。
せつないですね。この時期の彼らをとっても愛おしく思います。

そして、嵐はまさに今年に勝負をかけてきています。
その漲る闘志がパフォーマンスに現れています。こういう曲調を嵐がリリースすることは多くありません。またシングル曲の演出として、シンプルでクールな印象に仕上げるというのは、今までにないと思われます。
truthやMonsterはもっとデコラティブでしたしね。
嵐はこういったのも似合うのですが、パブリックイメージが逆であるため、全面に押し出してはいなかったでしょうし。今後もそれが頻繁にあるとも思えません。
ただ、嵐が何かを刷新しようとしている中でのチャレンジ曲である事は理解できます。

どちらのグループにとっても、この曲というのは今という限られた時間の中でしか楽しむことのできないものなのです。
それを見逃す、または、旬を逃してから懐古しても遅い。だからこそ、今のこの時期にリピートし続ける。

ウダウダと書きましたが、結局この2曲の「魔力」の素となるのは、私にとっては「期間限定」であると言えます。
上2つのポイントはそこから派生した魅力であり、魔力ってほどの力を持つものではないかもしれません。


さて、またリピるとします。