Popcorn、はじけました。

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11/16、Popcornツアーの初日に行ってきました。
その日、珍しくメモをとりながら見ていましたので、その模様はこちらからどうぞ。
Twitterで速報としてあげたもののまとめです。
嵐Popcornツアー 京セラドーム 11/16

ここではツラツラと感想など。

たのしかった!!!

この一言に尽きるのかもしれません。何も考えず、憂いなく、ただただ嵐との時間が楽しい。嵐が見せてくれるもの嵐が歌ってくれる歌、次に何が出てくるのか、ワクワクして興奮しぱなっし。そしてそのすべてが愛しくて大好きで、本当に幸せだ…と感じる3時間弱。何物にも代えがたいこの瞬間のこのトキメキ…私はこの感覚が欲しくて欲しくてたまらなかったのです。これをずっと待ちわびていて、そしてやっと与えられたのです。渇望していたものたっぷりと与えられ、みるみる間に楽しい嵐コンを味わっていた数年前を思い出しました。
この前となると…Timeかもしれません。
ドリアラは何か納得感が薄いものでした。AAAの国立はアジア出発に向けてこれまでのコンサートのダイジェスト版状態。5×10は既存曲でのコンサート。風景コンは素敵だったけれど、どこか気取ったところもあり、BWはなんだかがっかり。時期も時期だけに自分を納得させることに努めたけれど、希望を言えば「もっと嵐らしいもの」を求めていたのに与えられなかった感じでした。

アラフェスでファンがリクエストした曲を見て、ファンが何を望んでいるのかを感じたのかもしれません。それに迎合したわけではないでしょうけれど、嵐はしっかりと答えを出してくれました。
それは「踊る、煽る、盛り上げる」といった嵐が汗をかくことでしか与えられないものだともいえます。

嵐が売れっ子になったことで、舞台装置やステージの作り、トロッコや映像、いろいろなものに予算が増えた結果、メンバーそのものをどう魅せるかというよりも、その周辺に力が入っていたように思います。確かに今の嵐にしょぼい演出はNGですし、私も望むものではありません。でも展示会ではないのですから「ほら、この技術ってすごいでしょ!」というよりも「嵐くん、かっこいいでしょ!それにはね、こんな装置を使ってるの」というくらいでいいのです。大会場でプロジェクションマッピングをしても、ほとんど暗くて見えないですし、凝りすぎた映像をスクリーンに流すよりも、会場が広いからこそ、そこにメンバーを映してほしい。
つまり、メンバーがありきで装置があるわけなので、メンバーが頑張らないと始まらないわけです。
まさに、アラフェスで票を集めた「Love Situation」なんてそれだったかと思います。
スケステをメイン、バックの両方向から動かすフォーメーション。単にお手振りではなく、スケステでガシガシに踊った演出。スケステの上下での交差。見ていてあれほどトキメキ、テンションが上がり、「目が足りない!」「なんでマルチアングルで映像化されなかったの?」といまだに語り継がれる程の名曲なのです。

おっと。脱線。
そういう肌感覚を分かってくれたのか、今回は舞台装置はものすごく凝ったものでしたが、それがとってもメンバーのパフォーマンスに活きていたのです。単純に、かっこよかったし見惚れた。

ウォータースクリーンを使った証の荘厳さ、アフリカの大地に立ち、背中から強烈な夕日を浴びたかのうよなシチュエーションの中、シルエットだけで踊る5人がダイナミックでひれ伏したくなったCosmos(サバンナに立つ勇者、または古代エジプトのファラオのようでした)、ドーム内を光のバルーンで囲み、担当パートごとにそのバルーンがメンバーカラーに光り始める幻想的なWaiting for you。
どの曲がいつ歌われるかもわからない。どんな風に魅せてくれるのかもわからない。でも、どれもこれもが素敵で。

見れて良かったなぁ。本当に楽しいなぁ。
と、何度も何度もコンサート中に思いました。

そして。一番シンプルなのに、号泣してしまったのが、ニノのソロでした。
正直。アルバムを買ってから1度しか聞いてません。虹も好きではありません。なぜなら、ニノの作るあの曲の世界はあまりにも少女漫画チックであり、それを曲で聞かせられる事を自分が望んでいないからですし、その歌詞の世界についてもあまり深く考えたいと思った事もないのです。
でも、コンサートで虹を聴いたときも何度も泣きました。
今回は、泣くどころではなくて号泣でした。

ニノのずるいところは、歌っているという体をとって「演じている」のです。歌詞の世界に観客を引きずりこんで、歌う事でその歌詞の世界を、その背景を、その感情の機微を伝えてきているのです。
今回はまさに、虹が全編、それはやっぱり君でしたが後篇の映画のような状態。
些細な事でけんかをしながらも、ゆっくり愛を深めていった二人が次に向かって歩き出したのが虹、でも、そのあと二人には永遠の別れが待っていて。その主人公の男性が深い悲しみから立ち直り、いまだに消えない愛情と、彼女への後悔、懺悔を歌ったのが、今回。その二人が歩んだ道を歌という形で「演じている」のです。単に歌詞をツラツラとなぞっているのではなく、そこに込められた感情のすべてが歌を通じてドームという空間に解き放たれるのです。
圧巻というか、その質量の重さと息苦しさとせつなさに涙が止まりませんでした。男性のどうしようもない思いのたけをぶちまけた叫びにも似た最後の歌詞を歌いあげたニノは彼女を失った男性にしか見えませんでした。
歌という世界を通じて演劇を、映画を、ドラマを見ている気持ちにさせられてしまったのは、初めてでした。
感動とは違う。心の底から痛々しいその姿に胸を痛め、つらく寂しく、でも後悔だけでは生きていけない現実。日々の営みは止まることなく続くのです。

これを見た後、アクセントダンスなのですが、そこに気持ちがついて行かず、大変でした。ずっと涙が止まらなくて。
衣装を着替えて登場したニノはカラっとした顔で激しく踊っているにも関わらず、私は全然そっちに気持ちが切り替わりませんでした。
あ、本当にこの人はすごすぎる。ニノの代わりになれる人なんて、ホントどこにもいなんだ。

Popcornツアーのニノのソロは通常で考えるポップではないけれど、でも、こんなに感情の爆発を引き起こす存在であることは間違いなく、その点ではPopなんでしょうね。