心に貯まるもやもや

やはり。悶々とした気持ちを書き殴る一つの方法として、ブログというのは正解なのだと思う。
ここを残しておいてよかった。と、本当に思っている。

私、長年…もう10年になるけれど嵐を好きで居続けたので「きっと飽きっぽくないんだわ」と思っているし、他の趣味ごとを考えても、そう。
めったにはまらないけれど、はまるとなかなか抜け出せない。
なのに、今ここにきて、あれだけご執心だったセクゾンから足を洗おうかという気になってきたのです。

着いていきたい。
大きくなる姿を見続けていたい。
でもこの状況は嫌だ。
改善されない、むしろ悪化する一方。
今のこの姿は見たくない。

個人が嫌いなのではないのです。
大好きなのです。
なのに、環境が許せない。

上3人をゴリ推しして、聡マリをJr扱いにすること、衣装格差、面白くないステージ。
個人個人は大好きなのに、それを楽しむためにお金と時間を使おうとすると、苦痛でしかなくなる。彼らを見ることに何のメリットもないばかりか、ストレスを貯める始末。

感謝祭の楽しさって何なのでしょうか。
人には好みがあるから、私がただ単に感謝祭…というかJWというコンテンツを受け入れられないと言う事を差し引いても、3グループ合同コンから産み出されたものは、結果、セクゾン担のストレスしかないように思えるのです。

私はJumpには興味ないし、エビさんにもJr.にもそこまで思い入れはない。
そこは申し訳ないとは思いつつも、セクゾンが出るから見に行くわけです。なのに中途半端な上3人をセクゾンだと言われても、見る価値が無い。
ふまけんならわかるんだよ。芸歴も長ければ踏んでる場数も違うから対応できる幅が広くなる。そこに勝利くんを加えるのは、つまりはエンターテイメントとして「出来る出来ない」をジャッジするのではなく、上3人を一つのくくりと捉えて売りだす意図を感じるのです。
それが面白くない。

私は聡マリは年齢こそ幼いけれど実力や華は上3人に引けを取らないものを持っていると思っているのです。だからこそ5人の綺麗なバランスが成り立つのです。年齢差や芸歴の長さに違いはあれど、5人だからこそなし得るものがあると思うし、そうやってグループが育っていくと思うのです。
そういう考えは違うのかしら?

健人くんを好きですが、健人くんの全てを肯定する気にもなれないし、そこまで盲目に好きでいるわけでもない。でも、グループごと好きでいるからこそ、見ていられる部分もあるのです。トンチキな健人くんにツッコむふまたんや勝利くん、それでも懐いている聡マリ。ぽんこつな兄ちゃんを支える子や、兄ちゃんがぽんこつなんて事もわかってなくてきゃっきゃとしてる子がいる、その関係性の楽しさ。一人っ子の健人くんが一生懸命下の子の前に立っていこうとしているのを見ているのが楽しいのです。

ステージのパフォーマンスだけではなく、日ごろの関係性や人間性がにじみ出るところが、その人の魅力になるのですが、そういう面白味を削がれているのです。
むしろ、この数年の楽しさはその関係性だと思っているのに!

好きなのに、見ると辛い。
そういうグループとどう付き合っていけばいいのか、自分でもわからずに悩むところです。