ヲタクが文章を書くということ

好きなところを一つ一つあげていくこと、忘れたくない思い出を残すこと、自分の中の考えをまとめること…何かを好きになる、その感情や感覚を自分の中に留めておくのではなく、目に見える形として残しておく際、もっとも簡単で的確なのが「言葉」なんだと思います。
人によっては「絵」や「音」や「写真」その他の手法を用いることもあるのでしょうが、一般的にやはり言葉というのが、便利で分かりやすく人との共有も図りやすいでしょう。

私も長年に渡り…それこそブログに関しては1999年から、それ以外にも職業柄、趣味ゴトの延長線を含め大量の文章をネットに放ってきました。
そう、まさに放ったわけで、それが今どのようになっているのか、それを受け止めた方がどうしているのかわからないのですが…。

かつてはバンドについて…スカパラや氣志團、堂島孝平くんについて、そしていつからか嵐がメインとなり、あちこちを行ったり来たりしながら、基本はヲタクごとについて、書いてきました。

なぜ書いているのか。
一つは、自分の記憶の整理と保存です。レポはまさにそうだと思います。自分にとってどうしても忘れたくない瞬間があります。コンサートはDVDになるとはいえ、それでも、自分が見ていたものはDVDに入るとは限らないし、それを見ていたとき、自分が何を感じたのかは、メディアには残りません。だから、自分の記憶しておきたいことを吐き出し保存しておくために書いていくのです。

そしてもう一つ。
啓蒙活動です。たいした文章を書くわけではない人間がたいそうな事を言いますが、ネットに出すということは、読んでもらいたい願望があるからです。私についていうなら、自分の考えを、感じたことを理解してもらいたい、という気持ちからではなく、「私の好きな人、私の好きなモノをこうやって書くことでより多くの人が興味をもってくれたらいいなぁ」というものです。自分の文章でそんなチカラがあるとは思ってませんが、何かをきっかけに存在を知る可能性はあります。興味を持つきっかけになります。より一層好きになるかもしれません。

自慢とか優越感に浸るため、という理由もあるっちゃあるけど、私は主にこの2つです。

そして、とにかくヲタクというのは、どの分野においても、そうやってネットに文章をあげていく人が必ずいるのです。
書き手の思いとして、私が思っていることは前述のとおりだとして、では読み手に視点を移すとどうなるのか?

たとえば、何かに興味を持ったとき、オフィシャルサイトを見た後に、誰かのブログに辿り着くことも多いはずです。そこにはオフィシャルでは知りえない「ファンとしての楽しみ方」に気づくことにが往々にしてあります。オフィシャルでは決して得ることのできない、「お作法」や「きまりごと」「慣習」といった知恵が身に付きます。
たとえば、嵐ではコンビ名があるとか、C&Rがコール&レスポンスという嵐がよく用いるコンサートでのコミュニケーションなんだ、とか。さらには、ウチワを作る事や双眼鏡を買う事、テレビ録画は出演番組だけでなくCMやWSなど多岐にわたる事…こういうのを知ることでファンとしての心構えというか…ファンとしてのハウツーを学ぶ場になるとも感じます。
オフィシャルで得られるのは無味乾燥な情報であり、知識です。でも、自分がファンとしてどう楽しむのか、どういったところが楽しいのかというのは、先人たちの知恵から学ぶところが多いと思うのです。
そうすると実際に自分も見てみたくなるし、見た後にいろんな人の感想も知りたくなるし、自分の感想も文章にしたくなる…。

中にはまったく興味がないことでも、その人の目線を介して見ると興味が沸いたり、面白く感じたり…そんな秀逸な書き手もやまほどいらっしゃいます。
私、とある方の目線を通して語られる「タカラヅカ」のお話が大好きで、よく読ませていただいてるところがあります。
実際には、私はタカラヅカを見たことがないですし、今のところタカラヅカ自体に興味が薄いため、見る予定もないのですが…何せその方が語るととっても楽しい世界に見えて、それで満足しちゃってるのです。でも、日常生活にまったく縁のないタカラヅカと私を結ぶわずかな接点をその方の文章が作ってくれています。だから、スターさんのお顔と名前、全員ではありませんが一部、わかる方もいます。

各書き手は書き手の思うことを書くので、その視点は千差万別であり、自分と合う人合わない人、いろいろだと思います。ただ、いろんな方向にアンテナがあると、自分の感度に合った人もいらっしゃる可能性が高いですよね。
アイドルでいうならデータ派、分析派、理論派、前例派、回顧派、ビジュアル派、コンビ観察派、BL派、…そんな派閥があるのかどうかわかりませんが、自分がどうやって好きなものを見ているのか…そのスタンスに近い人を見つけると、より一層ヲタクライフが楽しくなります。連絡を取ってみてお友達になったりもしますしね。

いろんな方向にアンテナが立つということは、モノを書く対象が「書く面白さ」を提供してくれなくてはなりません。ヲタクがヲタクとしての感性を刺激され、それを書き手が自分が受け取ったことをネットで書き散らかし、それを読んだ人が対象の面白さに気づくという流れをどれだけのバリエーション作ることができるのか?そこが大きいのです。
そういった点で嵐というのは非常に「ヲタク受け」するアイドルだと思っています。ヲタクが自分の視点であれこれモノ申したくなるアイドルなのです。
数年前のネット業界では「一億総ツッコミ」と言われておりましたが、まさに嵐はそのツッコマレビリティが以上に高く、「かわいい〜〜」「かっこいい〜〜」という感想ではすまない、かっこよくても、すべっても、ダメっこでも、こっちがきちんとオチをつけてあげなきゃいけない、そういう隙があるのです。だから、こぞってみんなが嵐を語る中には、すんごいプロもいらっしゃるわけです。

それは、嵐がまださしても売れてない時代に、嵐の良さをメディアで大々的に取り上げ、わかりやすく咀嚼し、提供してくださった元・ロッキンオンの上田智子さんやぴあの上甲薫さんです。彼らのパーソナリティを存分に浮き彫りにしていった数々のインタビューや、ヲタク視点のエモーショナルな各種のレポ。ネットで素人がわちゃわちゃと書いていたレベルとは一線を画したプロの言葉の使い手が表現した嵐は、嵐という素材がこんなに美味しいんだ!というのを、堂々と大々的に示した事態であったと思います。

そして一方で。本日のメインテーマというか「書きたかったこと」にようやく辿り着くのですが、プロではなくともヲタクもヲタクとして常にネットで壁打ちのように一人で言葉を吐き散らかしているわけでなく、友達との会話やメールのやりとり、今ならLINEやTwitterでコミュニケーションをとりながら言葉を放っています。
そこでは堅苦しい理論武装も、専門用語も、詳細な分析もなく、ヲタクどうしだから伝わる雰囲気と感覚と印象です。

そういったヲタクの一人として、きっとこれまであちこちで好き勝手に語られていた「嵐の楽曲について」という視点で私の友達が本を出版しました。
嵐ヲタ絶好調超!!!! 青井 サンマ

全然難しい話じゃありません。ただただ、嵐が大好きで嵐をひたすら聞いていて、シングルが出ると、アルバムが出ると、友達と集まってその品評会的にあぁ〜だ、こぉ〜だ、言っている、あの空気感がぎゅっと詰まった、、、でもそこはサンマちゃんの秀逸な文章力によってTwitterを使ってまとめあげられた、そういった文章です。カフェでお茶を飲みながら、居酒屋でビール片手に、ぎゃはぎゃはと笑いながらこういった話をしていた事、みんなあるんじゃないでしょうか。「ちょっと、また、ニノのソロって自作バラードなんだけどぉ〜」とか「サクラップって、一つのジャンルになっちゃってるよね、これ!」とか。そういう風にヲタクが思っていたあれこれが、きちんと一つのまとまった形態で読むことができるのが非常にうれしいです。
とはいえ、これを書くにあたって、どれだけの時間を使って曲を聞き込み、検証し、文章にまとめていったのか…彼女の時間を存分に使った壮大なファンレターでもありますし、ライトな読み心地ながらも随所に彼女の膨大な知識によって裏打ちされた嵐の音楽論でもあります。
ある一つの嵐ヲタの日常が、その温度感と鮮度のままぎゅっと詰まったようなこの本を私はとってもとってもわくわくと、そしてほっこりとした気分で読み終えました。

それを書きたいためにこんなにも無駄な前置きがあるってことは、私の文章構成力がない、って露呈してるわけですが。いや、もう、すみませんです…。