担当とは?アイドルとは?

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2011年も終わります

仕事もジャニ事も色々ありました。
ジャニヲタって、アイドルって、担当って・・・自分の中で思うことをまとめたくって、それをもって2011年を締めくくろうかと思います。
毎年やっていた自分の行動の振りかえりはやめておきます。
嵐にほとんど行けない今、それが寂しくなるから(1回も行けない人に比べたら、全然いいんだけど、やはり満足できるわけではないのです。)

今年の一番の出来ごとは、嵐くん以外のジャニーズのアイドルに心をすべて持っていかれる瞬間に出会ったことです。
これまでね、割に一途に嵐くんを追っかけていたので、本当に新鮮な瞬間だったのです。
NEWSもてごにゃんも好きだけど、それは心を持って行かれるというものとは違って、パフォーマンスがすごく好きというところに留まっていたんです。
それで言うと、キスマイもその位置かと思います。がやさんは見た目がすごく好き。キスマイのパフォーマンスもすごく好き。そこに全力になるのも悪くない…と思った時期もありますが、今のテンションでは、無理のないところで数回見ることができたら楽しいだろうなぁ、と言った感じです。

自分でもよくわかりませんが、「全力で取り組まねばならない」って言う、自分の気持を抑える事ができないグループが出てきてしまいました。
それがSexy Zoneです。

きっかけは、きっと中島健人くんです。キスマイの帝劇での衝撃は今も忘れません。
帝劇のステージのセンターでキラキラ輝くオーラをまとい、そのときのステージの主役として他を圧倒する存在感でした。
キスマイの中に混じって、一歩控え目にしていても、そのオーラはきらきらと輝きを放ってました。
嵐ヲタ9年目ですが、私が嵐の後ろのジュニアを見た事って数回程度しかありません。嵐にしか目が行かないから。キスマイの大阪城ホールだってそう。Jrにはほとんど目がいきませんでした。それなのに、けんとくんだけは、ダメでした。
そんな子がデビューするというのです。
気になってテレビを見たり雑誌を見たり、、、はまるってこういうことなんでしょうね。

けんとくんを好きになり、ふうまくんも気になって、にのあいよろしくぷまけん押しとなりました。
その二人が、とにかくむぎゅむぎゅとかわいがる下3人も本当にかわいい。
おにいちゃんと弟。お父さんと息子。お母さんと息子。色んな関係性がその中で生れて、それをリアルタイムで追っ掛けている感じ。どの組み合わせもかわいくて仕方ない。
もう、嵐で私が5人を丸ごと大好きな感情そのまま、セクゾンもゴコイチなのです。

嵐はとってもとっても大きくなりました。
しがない一ヲタが偉そうにいいますが、嵐は私たちヲタがみんなで愛して愛されて、大事に大事に育ててきたアイドルだと思っています。
嵐を中心にそこに集まったファンを含めたコミュニティが嵐であるのは間違いなく、それは嵐も自覚していることなはず。
数年前までのリピーター続出だったときのコンサートでは、嵐担のC&Rの素晴らしさに鳥肌が立つこともありました。それくらいの求心力をもって、嵐と嵐担はつながっていたんだと思うのです。
(さすがに今はそこまでのものを感じる事はありませんが。寂しいですがそれだけたくさんのファンができたってことですからね。)

その嵐を育て終えて寂しい気持を持て余していたときに現れたのが、セクゾンなわけです。
「私が守らなきゃ!」「今、買わなきゃ!私が買わなきゃ!」
むやみに焦るこの気持。セクゾンに関わる何かをしていないと落ち着かない。じっとしてると湧き出てくる焦燥感。この感情を穏やかに保つことのできない毎日こそがトキメキなんではないでしょうか。

はっきりとは覚えてませんが、ガンバレー部の前後には確実に好きでした。
だからバレーボールも行ったわけですから。
11月の初頭に現れたこの子たちによって、2011年はセクゾンイヤーとなり、きっと、来年もこの子たちが私のジャニヲタ活動の中心となることは間違いありません。

あ、いつも聞かれますが、私の担当は今のところ、「二宮和也」ただ一人ですから。

嵐を好きで、追いかける事に間違いはありませんが、とはいえ、現場には行けないわけですから、絶対的なボリュームはセクゾンが占めるはずです。

グループとしてのまとまりや、まだまだ伸び白が見えるパフォーマンス(それも伸びを予感させる前兆あり!)、個人個人のもつかわいさ、かっこよさ、優しさ、オーラ。
とにかく、5人が5人とも大好きであり、この後何年にもわたって、見続けたい。

また、握手会に行って「なんでここまでSexy Zoneにはまるのか?」の答えを見つけた気がします。
それは、5人が与えてくれる「ホーム感」なんです。
現場仕事がまだ数回にして、ファンと一体となること、ファンと一緒に楽しむこと、ファンを引きこむ事。何より、ファンが楽しむことを自分たちの楽しみと捉えてくれる事。
嵐がにのがやっていることが、ここにもあったのです。
私が大好きな空気感。やわらかくてあったかくて安心できる、そんな空気感を作る事ができる5人なのです。

そのホーム感を作っているのは、けんととそうきゅんであると、私は思っています。
どちらも目線の高さが違うだけで、気配りの方向性が一緒。
伝説を生み出すほどに職業アイドルとして、プロ意識の高いけんとは、とにかく女の子をキュンキュンさせることに全力を出します。愛を叫び続け、その愛に女の子は落ちていく。
そうきゅんは気配り、目配りの人。常に会場の様子を見て、後ろに横に前にとファン全体を見渡して「後ろの方も見えてるよ!後で会おうね!」などと声をかけることで、一体感を出そうとする。
握手会のご挨拶時、後ろの方にいたため、姿も見えずぼんやりとしていた自分も、そうきゅんの言葉でぎゅっと力が入りましたもん。

後の3人は言葉でなくて、態度ににじみ出ていました。
疲れた表情をせず、笑顔で握手し続けるしょりたん、フラフラになってもお兄ちゃん達と一緒に全員に握手するマリ、顔色をなくしかけても、目が泳いでも、一人一人ときちんと対峙してくれるぷまたん。

彼らは彼らの全力を使って私たちを待っていてくれたわけです。それは、大切な人を迎え入れるための心構えにほかなりません。
私たちは彼らの大切な人になったわけです。私たちは、彼らから愛されている。

愛してくれる人を愛せることほど、幸せな事ってないですよ。

けんとくんの甘いセリフは確かに、ラブホリックとバカにすべきところ(でも愛すべきところ)ですが、それを口先だけのチャラ男にしない、本気のラブホリックっぷりを見せつけるけんとくんに、プロのアイドルとして、深い感謝と尊敬をしています。
ファンを愛してなかったら、一人ひとりの言葉にリアクションなんて、できないって!
握手会の壮絶さや大変さ、スピード感を知ってるからこそ、けんとくんのその偉業が「#中島健人伝説」になったわけです。

17歳にして、何の覚悟を決めてここまでの事をやってるのでしょうか?
けんとくんは地がどこまでラブホリックが知りませんが、アイドルとしての自分のキャラクターをはっきりと打ち出す方向を早くから見つけて実践しています。
アイドルとして生きていく覚悟がなければ、17歳男子がこんなこっぱずかしいリスキーなキャラ設定なんてしない。
それは、まるで「僕は俳優ではございません、日本ではグループで活動し・・・」とベルリン国際映画祭でのにのの言葉とリンクします、。
アイドル職人のにの。芝居でここまで評価され、難しい演技も華麗にやり遂げるくせに、なのに、職業はアイドルとして貫くその覚悟。

けんとくんには、そのにのに見ていた心意気を感じます。
にのが好きなように、けんとくんをそこまで好きになる日も近いと思われます。
そうなったら、担当を降りるというのではなく、私の担当は二人いるということになるはずです。

担当って一人でないとダメなんですかね?
私にとって担当とは、「あらゆるメディアから与えてくれるその人の生きざまに対して、リスペクト出来る人である」って事です。
リアルな恋人を思っているのなら、嵐でいうなら相葉ちゃんであり、セクゾンちゃんならぷまたんであることは間違いありません。
でも、彼らの担当になることはありません。大好きだけど彼らを好きな気持はアイドルの彼らを好きな気持とはちょっと違うから。リアルな男の子に求める理想像だから。
あくまでこれは自分の考え方で、リア恋が想像できるからこそ、担当を名乗る人いますし、それを否定もしませんし、それはそれでいいことです。
あくまで、私の基準でいくと、にのを好きな私はけんとに浮気しているという感じではなくて「音楽が好きで、絵も好き」「走ることも、泳ぐことも好き」的に、二つ、好きな事が成り立つ感じなのです。

握手会でホワホワしている気持は、確かに恋愛感情に近いところもありますし、それに対して私は本当に幸せな気持にもなっています。厳密に仕事のみを見ているわけではなく、アイドルの仕事についてもビジュアルの良しあしも態度も恋愛感情も全てひっくるめて、好きになっています。その中から、状況や環境に応じて、どの部分を強く求めるか、それが違うのです。
アイドルの仕事をこなす姿なのか、恋愛モードで彼氏として見ていたいのか、ただひたすら美しい姿を眺めたいのか、でも基本はそれらを全部見届けたい上で私は、お仕事としてのアイドルをやっている姿を一番重要視するのです。

なので、私の中では担当二人は案外成り立つと思っています。

こういうスタンスで2012年もやっていけたらいいなぁと思います。