天使が与えてくれた幸運な時間

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22日の土曜日、東京に行ってきました。
もう、見ることはないであろうと覚悟を決めていた、今回の相葉舞台ですが、運悪く行けなくなった友人からチケットを譲ってもらうことになったのです。

ソワレのチケットということで、とりあえず、宿と足の確保必須。
ドタンバタンと手配したため、新大久保から遠く離れた(と思えた)半蔵門に宿をとり、新幹線も何やら中途半端な時間帯になってしまって、東京滞在時間はちょっとしかなかったのですが、密度濃い時間でした。

行きの新幹線の中で、ひたすらjさんに「てごにゃんの素晴らしさ」を説き続け、ザクザクと切り取ってはiPodに入れておいた「イッテQ男子チーム」の雄姿を見せ続けました。
池ポチャ⇒耕運機⇒丸太 と、3本続けてみると、「これで落ちないワケがない!」と言い切れるほどに、てごにゃんのステキっプリが詰まっております。
新幹線の中で笑いをこらえながら、ずーっと見てると、あっという間に東京駅に着いておりました。

半蔵門ってどこに位置するのか、まったくわからなくって不安だらけでしたが、思ったより便利なのねぇ〜。
乗換があると、びびってしまう田舎ものですが、とはいえ、東京駅にも渋谷、新宿にもそんなに問題なく行くことができるし、新宿のホテルに比べると部屋の広さが全然違う!
去年の国立で、びっくりするくらいに狭いホテル(ユニットバスを開けたところがベッドって!)に泊まったとき
「この狭さに耐えれたなら、きっとどんなホテルでも満足することができる」
という、変な自信がつくほどでしたが、いやはや、なんとも快適なところでした。
キレイ、かつ、広い(ってほどではない・・・)って、ステキ。
のびのび〜〜〜。

舞台終わりには、大阪に向かう予定となっていたaちゃんとウマイ鶏もいただき、翌日は朝っぱらからウマイモーニングをモリモリと食べ、飲茶のお店でウマイ麺をすすり、新大阪でガッツリとマッサージを受けて疲れを取って帰宅。

なんという充実感。

食って喋って、癒されて。
そして、心の底から、自分の感情をあふれさせて。
命の洗濯・・・とも言うべき2日間でした。

さて。舞台の感想です。
あらすじはどこかで見てもらうとして、、、

本当に本当に。
あいばまさきって人は、演技がぶれない。
燕・・・の頃から変わらない演技の質、みたいな。
上手いってんではない、、、普通の舞台の役者さんからすれば、やっぱりイマイチなんだろうけど、この人にしかできない「感情の表現」ってのが、あるんだって思う。
こっちのペースにお構いなしに、ものすごい勢いで気持の中に感情を流し込んできて、涙線を全開させたまま終了するっていう。

舞台を見て、涙を流し過ぎてコンタクトが外れたり、おかげで前が見えなくてゴミ箱を蹴倒したり、足元がよろよろになってこけかけたり、涙を流しすぎて胸元をビショビショになったり、、、
こんなこと、相葉舞台でしか起こらないわけです。

今回の舞台、評判が良かっただけに、ヤバイと思っていましたが、終わった後が大変でした。
ハンカチを取り出すタイミングを誤ったおかげで、着てたTシャツの色が変わるくらいに泣くことになっておりました。

泣いた理由は単純です。
「夢を見ることは簡単だけど、見続けることは難しい。」
それが痛いくらいにわかって、伝わって、いたたまれなくなって、寂しくて悲しくて、だから泣くより仕方なかったんです。

春也くんも、みっちゃんも、夢を見ていました。
春也くんの夢は現実の中で、粉々に砕かれてしまいます。
みっちゃんの夢は厳しい現実を生きていくための手段です。
夢はときに、勇気となり希望となるものの、失ったときは計り知れない辛さを与えます。

何気ない二人の会話、友達との日常。楽しく幸せに過ごしながらも、二人がそれぞれに抱え込んでいる、夢に隠れた心の闇。
春也くんの闇が「夢に破れたことの責任感や後悔や無念」であるなら、みっちゃんの闇は「夢がないと封印できなかったつらい記憶」。

ちょっと話がかわりますが。
近頃、「カツマー」と「カヤマー」っていう両極端な生き方が、ニュースサイトなんかで取り上げられていまして。その関係性と春也とみっちゃんの夢の捉え方が、ちょっと似ているなと思うのです。

「立派な人になる!」と、介護活動、ボランティア、政治活動に頑張るみっちゃんに、春也は「見ていて、痛々しいよ!」と言ってしまいます。

あー、ツライ・・・。その一言。
頑張ることでしか、自分を表現できなかったり、自信につながらない。
自己実現を目指すカツマーって、強い人ってことじゃなくって、カリメロと一緒で、元々が弱いから、夢だの希望だの、理想を掲げて頑張るっていう、硬い頑丈な殻をまとってるんだよ!
前向きに頑張ることしか、自分の進むべき方向が見つからないし、頑張れなくなると途端に足元がぐらつく気がして、恐怖に苛まされるんだよ!

私にもカツマー的な一面はあるだけど、それをばっさり切り捨てられると、つらすぎる。

でも、春也くんもツライ。
母親が死ぬまで働いて仕送りしてくれたお金で進んできたピアノの道。
ところが、才能の限界に気付いたとき、そのプレッシャーの大きさからコンクールを棄権してしまい、自ら夢を潰してしまう。
その罪の呵責や、父親からの冷たい重圧から逃れられない。

頑張らなくてもいい。もう十分頑張ったんだから。
って、誰かが言ってくれたら救われたんだろうけど、息子の才能にかけ、身体を壊すまで働き続けて死んでいった母親のことがあるだけに、父親はその言葉をかけてあげるどころか、苛立ちを隠せないでいる。
あるがままで生きて、それを受け止めてもらえるというカヤマー的な生き方っていうのは、環境が整えばこそであって、そんなに現実は甘くない。

私も実家に帰ったら、すっかり「行けず後家」的に言われるわけで。

つまりはそれなりに頑張り、それなりに自分で自分を許し、中庸を探って上手く周りともやっていくってことしかない。
夢を見て頑張り続けながらも、適度に自分が甘えられるところを作っていくことで、自分で自分のコントロールをしてあげないと、自分も周りも、もたない。
そんなこんなで、自分自身にかぶるところや考えさせられることもあって、妙にはまってしまったのです。

お話はもっと夢のあるオチで、春也くんは再び頑張る力を手にします。
さて、自分はどうだろう。。。
自分なりに夢を見て、そこそこ頑張りながら、納得した生き方をしてるつもりではいるけれど、きっと親にしてみれば、結婚して子供を産んで、家族を作って暮らす方が普通だよな。
普通にはなれなかった娘を育ててきた結果、どう思ってるんだろう。
普通じゃないから、一緒に旅行に行きやすいし、しょっちゅう実家にも帰れる。ってメリットはある。
でも、周りの家族のようではない。

夢を見るってのも、一人で勝手にやれるもんじゃないってことだ、きっと。